引用元:「コーダ あいのうた」公式X
突然ですが・・・ 私、インドア派です。スポーツも苦手ですし、「趣味は?」と聞かれて思い浮かぶのは、映画鑑賞、舞台観劇、音楽鑑賞、読書だったりします。観たい作品も聴きたい音楽も読みたい本もたくさん。それなりに充実しています。でもそれが当たり前の行為でないとしたら? そんなことを考えさせてくれる作品が今回取り上げる「コーダ あいのうた」です。
ヤングケアラーの夢と現実
タイトルの「コーダ」は聴覚障害のある親を持つ子どもを指す言葉だそうです。主人公は17歳の少女ルビー。彼女はろう者の両親と兄がいるコーダです。漁業を営む家族の中で唯一の聴者なので手話通訳の役割を担っていますが、実は歌うことが何よりも好きで才能もあります。彼女は気になる男子生徒目当てで合唱部に入ったことでバークリー音楽大学に進みたいと思うようになります。でもレッスンをしようにも、通訳という役割をおそろかにするわけにはいきません。最近 日本でも存在が知られるようになったヤングケアラーですね。この先も家族のために生きるのか、夢を追うのか・・・ 17歳の彼女には酷な選択です。そんな葛藤の中にいるルビーがいじらしくて仕方ありませんでした。
逆にルビーの家族の視点ではどうでしょうか。彼女がいないと健常者とコミュニケーションを取りづらく、家族だけの世界にこもりがちです。耳が聞こえないとはどういうことか、健常者は表面的にしか理解できないかもしれません。でも私はあるシーンでハッとさせられました。ルビーの合唱部のコンサートに家族がそろって出かけるシーンです。私たちがエンターテインメントを楽しむって、実はとてつもなく恵まれていることなんだと痛感したんです。「映画や本は人生を豊かにしてくれる」なんて偉そうに思っていましたが、それを享受できるのは“特権”なのかもしれません。視点を変えると気づくことってあるんですね。
母親を演じたマーリー・マトリンをはじめ、実際に耳の聞こえない俳優たちがルビーの家族を演じています。この点についてマトリンは「映画であれ、舞台であれ、テレビであれ、ろう者の人たちにもっと仕事が来ることを願っています」と語っています。(*2) 監督や脚本家から衣装デザイナーにいたるまで、映画業界に入ろうと必死で闘ってきたろう者が大勢いるそうです。そういった人たちに門戸が開かれれば、さらにバラエティーに富んだ作品が増えるのではないでしょうか。
このレビューを書くに当たり、通常の字幕版に加え、バリアフリー字幕でも鑑賞しました。バリアフリー字幕とは「耳が聞こえない、また聞こえづらい人も安心して映画を楽しめるよう、映像の中の誰が喋っているのか分かるように、セリフと同時に話者名を文字表記し、更に音楽や効果音などの作品中重要な意味を持つ音の情報を、可能な限り文字で表記したもの」(*1)です。さらに手話映像や音声ガイドを備えたバリアフリー上映の取り組みもあるとのこと。
「コーダ あいのうた」のヒットが、製作サイドや観客に新たな可能性を示してくれる気がします。その一端を翻訳者として担えたら、これほど幸せなことはありません。
最後に劇中で使用されている大御所シンガーソングライター、ジョニ・ミッチェルの名曲「青春の光と影(Both Sides Now)」の一節をご紹介します。
“I’ve looked at life from both sides now
From win and lose and still somehow
It’s life’s illusions I recall
I really don’t know life at all”
© June 19, 1967; Gandalf Publishing Co. (as “From Both Sides Now”)
“私は人生を両サイドから見てきた
勝者がいれば、敗者もいる
でもそれは記憶が生み出した幻
人生の何たるかをまだ私は知らない”(拙訳)
*1 NPO メディア・アクセス・サポートセンター HPより
*2 「事実を知ってもらえたら」ろう者のアカデミー賞女優が語る『コーダ あいのうた』
Cinema Cafe.net 2022.1.23
2021年製作/アメリカ・フランス・カナダ合作
原題:CODA
配給:ギャガ